2012年1月アーカイブ

久しぶりの再会

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バイオディーゼルカーで地球一周(2007〜2008年)をした際に協力していただいた方々に久しぶりに再会して楽しいランチ。左から近畿環境保全の西村忠浩さん、西村篤さん、油藤商事の青山さん。後ろにはバイオディーゼル100%で走るランクル2台が並んだ。
相変わらず皆さん活発に動かれていてさすがですね。またお会いできる日を楽しみにしています!

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3.11 つなげよう東北へ ひこね

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「3.11を忘れない、東北へ想いを届けたい」日本全国の人々がそう願って動き始めているようだ。

滋賀県彦根市でも、震災から1年となる3月11日に追悼のイベント「3.11 つなげよう東北へ ひこね」を開催する。この町の人々がつながり、そして被災地をつなげてメッセージを届けようというイベントで、1月31日はその2回目となる実行委員会ミーティングが行われた。

当日は鎮魂の想いを込めて3万灯のキャンドルが灯されるほか様々な企画を考案中。市民団体、企業、個人など約50名以上が集まり、夜遅くまで打合せが続いていた。

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ミーティングでは大きく3つの班に分担。このグループではメイン会場である護国神社でのイベントについて話し合われた。それぞれの得意分野を活かした、子どもから大人まで誰でも参加できる内容を検討。

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豊郷小学校訪問

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今日は滋賀県の豊郷小学校へ。小学五年生56名と先生方へ向けてスライドトークショーです。滋賀県でもこんなに雪が降ったんですね。校庭も真っ白な景色でした。

3〜4時限目にかけて「世界と未来のエネルギー/天ぷら油で地球一周したこと/被災地での支援と今の現状」などをトーク。みんなメモをとりながら、集中して聞いてくれました。


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「質問ある子はいるかな!?」と聞いても、みんなちょっぴりシャイなのかな、手があがりませんでした。でも休み時間や講演の後になるとフレンドリーに直接質問しに来てくれました。

「1リッター何キロ走るんですか?」
「どんな匂いがするの?」
「どこの国がいちばんよかった?」などなど。キラキラした眼でこちらを覗き込んできます。

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パソコン画面をみたり、BDFの匂いを実際にかいでみたり。時間が経つと慣れてくれたのか、自然と積極的に話しかけてくれるようになりました。みんなが家からもってきた廃油を直接注入してもらいましたが「入れたい人?」と聞くと「ハイハイハ〜イ!」と元気よく手があがりました。

エンジンをかけると「なんかおもしろい匂いがする〜!」「食べ物の匂いがする」とのこと。そうなんです。天ぷらや揚げ物の香りがするでしょう!?

「震災後、何かしていることはありますか?」という問いに、みんな声をそろえて答えてくれたのは「せつで〜ん(節電)!」。
具体的には「コンセントをぬく」「電気を消す」「いらない電気はつけない」など。"もったいない" という気持ちや遠くの人々をイメージをもって想うこと。とても大切ですね。


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「被災地には、みんなと同じ年だったり、同じ小学生の子たちもいる。そして犠牲になった子もいるんだ。校舎が流されて、今も仮設の校舎で勉強していたり、お友達と離ればなれにならなければならない子もいるんだ」とみんなの眼を見て語ると、それまでワイワイと話していたみんなが黙った。そう、それは遠くの地方の出来事なんかじゃなくて、みんなと同じ子供たちが紛れもなく体験したこと。

みんなから「被災地の同じ小学生、支援直後にどうやって逃げたのかな?」「逃げる時に学校にいて逃げたのかな?」「授業はちゃんと進められているのかな」という声が返ってきました。そして「これからも大変だけど頑張ってほしい」というメッセージも。

今日みなさんから頂いた廃油は、支援のための大切な燃料にさせて頂きますね。そしてみんなの気持ちの分まで、支援に走ってきます。ありがとう、また会おう!

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車検とプラントのメンテ

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復活したお菓子のまるきんさん

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こちら野田村の「お菓子のまるきん」さんです。
カウンターで迎えてくれたのは看板娘のお菓子職人、ココロさん。

店内には美味しそうなお菓子がずら〜り。
和菓子も洋菓子も、どれも美味しそうでどれを買おうか迷ってしまいます。


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こちらまるきんさんも津波で被災したお店。上左の写真、矢印の白い線の部分まで水に浸かったそうです。当時は1階部分が浸水し、あたりは瓦礫の山。それをボランティアさんと共に撤去し、そのわずか2か月後の5月28日に再オープンしたのです。


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休憩スペースでコーヒーを頂きながら純生ロールをパクリ。手から自然とホロリと落ちてしまいそうなほど、ふわっふわでとても美味しかったです。まるきんさんのお菓子は村の味。そのお菓子の復活に村の方からボランティアさんまでたくさんの方が勇気づけられたに違いありません。

壁には3.11の頃や、オープンまでの歩みが写真で展示されていました。今は村内の瓦礫も撤去され、当時の様子はこんなきれいなお店からは想像できません。でも実際にお店に足を運び、この場所であの頃にあった事実をこうして写真で見るということは非常に貴重なことです。


SM1N9198_2.jpg  今日ご案内いただいた小田さん、ココロさん、まるきんさん、皆さん、ありがとうございました。まだまだ今年こそふんばらなければならない年ですが、いつも応援しています。また野田村へ来て皆さんにお会いできる日を楽しみにしています!

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十府ヶ浦海岸と防潮堤

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野田村を代表する景勝地。紫色の小豆砂がゆるやかな弧を描く十府ヶ浦海岸。
3.5kmにわたって続く美しい砂浜です。

この7.8mの防潮堤を乗り越えて、津波は町を襲いました。ここにある防潮堤は比較的最近できたものだそうでこうして残りましたが、もう少し先へ行けば倒壊してしまっています。

砂浜には相当な重量のテトラポッドが、強力な津波に動かされたのでしょう
場所によっていくつかが散在していました。

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そしてこの防潮堤の左側。今は荒野のようになっていますが、防潮堤のすぐ背後にびっしりと約11.2haの黒松林が生えていたそうです。今かろうじて残った松はほんの数えられるほど。ほとんどが流されてしまいました。

かつて内陸から海を見れば、この松林があったため海が見られなかったとか。
しかし今では、海を見通すことができてしまいます。

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こうして倒れてしまった大量の黒松。それを村内で利活用するそうです。
何に使うかというと......じつは野田の名産品「のだ塩」。

じつは、津波で村の名産「のだ塩」工房も流出。道の駅から「のだ塩」が消えてしまいました。しかし現在新工房建設中。しかも海水をバーナーで煮詰める従来法でなく、薪で煮詰める昔ながらの塩づくりをするそう。燃料は化石燃料に頼らず津波による倒木を再利用というわけです。塩は手間ひまをかけてじっくりと煮詰めていくと、とても奥深い味になるそうです。すばらしいですね。「のだ塩」復活も楽しみです!

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瓦礫集積所 in Noda

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ここは野田村の瓦礫仕分け場です。
こうして分別されて、多いものは山のようにして積み上げられています。

背後にある北リアス線の線路は津波で吹き飛ばされて流されてしまい、現在復旧中です。

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ここは高台に囲まれていますが、高さ10mをゆうに越える高台に生えていた木がなぎ倒されて削り取られた様子がわかります。まさかこんな高さまで津波がくるとは、何度みても目を疑うような光景です。

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野田村の小正月(3)

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お餅つき。僕もつかせて頂きました。
「ほらほらーあと10回!」とお母さんたちのかけ声に力が入ります。

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手慣れた手つきでお母さんたちがおもちをちぎっていきます。
きなこをまぶして、つきたてのお餅は最高ですね。他にもこんにゃくや甘酒などが振る舞われました。

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野田村の小正月(2)

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どんど焼きの次は、紅白の団子を枝に飾るだんごしば(みずき団子)。
子どもからお年寄りまで、豊作や無病息災を祈り、せっせせっせと夢中になって手作りした紅白の団子を枝の先につけていきます。

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この村民広場は震災当時、津波に沈みました。その場所に、今では子どもたちが元気に走り回って遊ぶ声が響いています。村民皆さんの健康と復興への歩みが一歩づつ進んでいきますように。

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野田村の小正月(1)

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岩手県で被災した沿岸市町村のひとつ、野田村に来ています。

1月15日の小正月の本日、
昨年と同じ場所で住民が集まって小正月の行事を迎えました。

朝から村民広場でどんど焼きと餅つきが始まります。小田村長(写真左)は「この野田村を以前よりもすばらしい村にするために、村民一丸となって乗り越えていかなければならない」と述べ、どんと焼きに火を入れると、冷たい強風にあおられて勢いよく赤い炎がたちました。

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風が冷たく寒いですが雪はなくいいお天気です。皆が火の周りに集まり、かじかむ両手を出して暖をとります。鎮魂、そして復興の年の始まり。今年の炎には村民の特別な祈りが込められています。

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昨年8月に行われた野田村の復興イベントに参加して以来の野田村訪問。そのときのイベント運営を担当していたハカセたちや懐かしい顔ぶれに再会しました。

何百年も経つ小民家のいろりの前。村長も交えて野田村の復興の話や自然エネルギーの話、菜の花計画、北極点の徒歩縦断(北極冒険家の荻田泰永さんも同席)の話、南極の話などなど、話の内容はあちらこちらに飛びまくり、あっという間に夜が更けました。

明日は小正月。今年も例年のように村行事が行われます。

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遠野のNPOを訪問

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遠く島根県の松江からいらっしゃった「松江 島根支援協議会」の桑谷さん。松江から何らかの顔の見える支援ができないかとのことで、今日は情報収集にいらっしゃいました。
僕らも今までの活動内容や現在の状況をお話しながら情報交換。そして他団体さんのところへご案内し一緒にお話を伺いました。

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今日は エフエム岩手 76.1Mhz 「わん(こ)らじお」に生出演させて頂きました!

この「わん(こ)らじお」は毎週木曜19時〜19:30まで。
震災後に立ち上がったもので、一個(わんこ)一個の椀を重ねるわんこそばのように、一人一人のちからを重ねて岩手を元気にしていきたい、そんな想いが結集された番組です。

メンバーは「チームいわてびと」。数々の「財産である人」の育成に取り組んできたプロたちがパーソナリティとして、いわてで輝いている人、支援を続けている人をゲストにトークを重ねているそうです。そこでゲストとしてお呼び頂いたというわけでした。

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「こんばんわん」 (みんなでせ〜の)「わんばんこ」  のかけ声で生トークが始まりました!

マイクの前には色彩セラピー・川村先生、地域人財づくりリーダー・みちこさん、謎のピンチヒッター・サユポンそしてディレクターの刈屋さん。すてきな女子に囲まれて、わいわい明るいフランクトークに緊張も和らぎました!
なぜ岩手で支援が始まったのか?これから何をしていくのか? など、ラジオ放送を通じて普段は会うことのない岩手の方々へもこうして聞いて頂けたこと。本当に貴重な機会でした。

「一人一人のコツコツと続けられてきた見えない支援活動は、今やピックアップされなくなってきたけど、伝えていかないと。本当に」と、声と目に力を込めるチームいわてびとの皆さん。こうして友人の会話のように楽しく聞けるトークの裏側で、胸にはとても熱い想いを皆さん秘めていらっしゃいます。

今日は本当にありがとうございました。もっともっと皆さんとトークしたかったです。現場のこと、お伝えしたいことがたくさんあります。今日はご不在だった下山さんとふじぽんにもぜひお会いしたいです。またぜひ呼んでください!

そうそう「エフエム岩手」は岩手県外の方もインターネットラジオで聞けますよ
http://fukkou.radiko.jp/ 

震災直後、ライフラインが途絶えた人々、そして支援で現場を駆け回る僕らにとって、オンタイムでの情報源はまさにラジオしかありませんでした。ラジオから流れる情報をもとに避難所を訪れたり、生の声を聞いて現状を把握したり。
避難者たちは「もしかしたら違う避難所に家族がいるかもしれない」と避難所ごとに一人づつ読み上げられていく避難者リストに注意深く耳を傾けていました。
死者が数百人なのか、数千人なのか。とにかく被害の大きさも誰も把握できなかった頃。車中での移動中、ラジオの声が生存者の名前が延々と読み上げられていく。余震がくれば津波警報が即座に流れ「海岸から直ちに離れてください」と何度も何度も伝えていました。そんな生の声を聞いていると想像もつかないほどの被害の重大さがじんじんと静かに伝わってくるのでした。

ラジオが届けてくれたのは、あちこちの生の情報だけではありません。辛い状況下でも自分だけじゃないと思って生きる勇気を、元気を、想像力を、どれだけもらえたことでしょうか。ラジオという見えない波動を通じて人々が集まり、無意識の中でひとつになっていたに違いありません。

声で元気と勇気と心を届ける皆さん、これからも頑張ってください!


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1/9 ソーラーパネル調整 @ 山形

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昨年末に取り付けたソーラーパネル。少し浮きはじめた箇所をさらにしっかり固定するために、自然エネルギーひと筋20年!のソーラーワールド・武内さんを再びお尋ね。おかげさまでしっかりと固定されました。雨も雪も、これで安心して走行できます。

出発前に賞味期限切れのきれいな捨油1リッターを頂きました。BDFにはいちばんいい廃油です。支援のための燃料にさせて頂きますね。

いつもありがとうございます! では、いってきま〜す。

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 震災から約10か月で復興オープンした根浜海岸のお宿「宝来館」が改築を経て、1/5に
再スタートをきった。海のすぐ目の前にあり、1〜2階部分は壊滅状態だったが、鉄筋
の外枠と3〜4階が残った。震災直後は避難所となり孤立した集落の人々を支えた場所
だ。辺りの集落は壊滅し、今は唯一ここだけに灯りがともる。

「うれしい反面ブランクがありすぎて不安もあるけれどがんばります。ここにはあかりが必要なんだって実感しました」とおかみさん。お料理は復旧を進める釜石港であがった旬な海の幸と、地元の野菜を活かした地物のこだわりレシピ。「この宿をふるさとのように思ってほしい、ぜひ遊びにいらしてくださいね」それがおかみさんと従業員みんなの心からの願いだ。

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左上の写真は、4月2日の写真。避難所として役割を果たした宝来館には誰もいませんでした。玄関には名簿が貼られ、それぞれの移動先や近況が記されていました。右上の写真は今年1月に再開した宝来館の写真。

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上の写真は3月22日に宝来館を訪れた時の写真です。根浜の方達は鉄筋で作られ唯一津波で残った建物『宝来館」に避難され、互いに協力しあって生活をされていました。

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上の写真は、昨年の11月13日に行われた改修工事の様子。


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1/5【宝来館オープン】海辺の宿「宝来館」明日復興オープン! 詳細→ 要電話予約/TEL 0193-28-2526/釜石市鵜住居町20-93-18/1部屋2名2食付で一人10500円(3名1室だと8500円)/風呂・トイレあり/エレベーター未復旧のため階段を上がれる方のみ。釣人やトライアスリートをはじめ多くの方に愛されている宿です。 大きな被害を乗り越え改装を経て、温かくすばらしい店構えで新たな出発を迎えます。ぜひ宿泊を!


※おかみさんの声「目標は2016年のいわて国際でトライアスロン大会をやりたい。世界中の人が訪ねるふるさと作りがしたい。被災した根浜に誰かが "いつの日かこの地でまたトライアスロンをやろう"と書いてくれたんです。海は怖くない!みんな応援してください!遊びにきてね」

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「津波の記憶石」in NEBAMA Shore

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岩手県釜石市根浜海岸、宿「宝来館」の目の前に建てられた「津波の記憶石」。全優石が寄贈し昨年12月9日に除幕式が行われたもので、津波の記憶を刻み、恐ろしさを後世に伝え、二度とこのような被害が起きないよう願いが込められている。

御影石でできた高さ2m70cmの石碑には、正面に大震災の日付や教訓、QRコードも刻まれ、携帯で読み込めば津波の教訓や発生時の動画を見ることができる。

【石碑に刻まれた教訓の言葉】
「ともかく上へ上へ逃げよ。てんでんこで逃げよ。自分を助けよ。この地まで、津波が来たこと、そして、裏山へ逃げ多くの人が助かったことを、後世に伝えてほしい」

【The Words of Memorial Stone of the Tsunami buit at the Nebama Shore on Dec.9,2011】
Just run! Run uphill ! Don't worry about the others. Save yourself first. And tell the future generations that a Tsunami once reached this point. And that those who survived were those who ran. Uphill. So run! Run uphill !


「てんでんこ」という記憶碑にも刻まれたこの言葉は、三陸海岸地域に伝わる防災伝承の言葉で「めいめいに」ということ。津波が来たら取る物もとりあえず肉親にすら構わず、とにかくばらばらに一人で高台へ逃げろ」という意味だ。


肉親にすら構わず、というと、そんなことはできないだろうと思ってしまうが、三陸が今まで経験した大津波で家族などを案じて家へと戻った人々の多くが犠牲となっている。今回の津波でもそうだ。誰もが自分の家族や友人、仲間たちを助けたいと当然ながら思う。しかし、それぞれが生きてさえすれば必ずまた再会できる。だからこそ一人一人が確実に生き延びるために全力を尽くさなければならない。「一刻も早くてんでんこで上へ走らなければならない」のだ。この言葉の陰にかくれた津波がもたらす想像を絶するほどの破壊力と恐怖を忘れてはならない。

かつて明治29年、昭和8年の大津波を経験し、ここ三陸海岸各地には津波記憶碑が約200基建っているという。しかし津波の痛みは世代ごとに風化し、人々は石碑よりも海側へと家を建てるようになった。

今の時代、写真も動画も誰でも簡単に写して加工できるし、インターネットを通じて簡単に情報が拡散できる時代となった。特に情報伝達に関する環境はそれらの時代からは大きく変わった。

しかし、未来の子孫たちが同じような被害に遭わないためにも、数百年後、そして千年後にも、子から孫へ世代を越えて確実に伝えていくためには、どうしなければならないのか。
CDやハードディスクの写真や動画データはきちんと管理をしなければ百年ですら残るものではないし、見て伝えられる機会がなければ有効には活用できない。石碑もそこにあることを忘れられては伝わらないだろう。

この経験と教訓を、継承文化や伝統の一部としてしっかりと編み込みながら、私たちにできることとは。それぞれが考えていかなければならない。

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2012年の支援活動について詳細

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【2012年の支援活動について】


『バイオディーゼルアドベンチャー』『グリーン アース キャラバン』では
本年も昨年に引き続き現場での支援活動を行っていきます。

支援に使うバイオディーゼルカー "バスコファイブ号"の燃料に使う燃料は
「廃てんぷら油から精製したバイオディーゼル燃料(BDF)」です。


詳細は下記になります。


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【自然・再生エネルギープロジェクト】
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◎食とエネルギーの自給自足循環型のコミュニティづくり
◎被災地や休耕田に菜の花を植えて、地域のエネルギー循環と活性を目指す「菜の花大地復興プロジェクト」(5月に開花、7月頃に種収穫、9月末〜種まき)

2011年は地元の方と共に、被災農地などへ約1ヘクタール菜の花を植えました。本年はできる限り種を収穫し、油を絞り、それを販売し地元へお返しする予定です。
また「津波をかぶった自分の農地も、次回は菜の花を植えたい」「エネルギー自給について知りたい」という声を、すでに被災者から頂いています。
本年も引き続き地元の方々と共に菜の花を植えて、地域でできる循環型エネルギーのきっかけ作り、休耕田を活用した地域活性化への取り組みなど行っていきたいと思います。

【ART de SMILEプロジェクト】
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多くの仮設住宅は山間にあり、車などの移動手段をもたないお年寄りも多く居住しています。海岸部よりも冷え込みが厳しいうえ、外にも頻繁に出られず、体も動かさず、孤立していく、心が沈んでいく......と心も体も厳しい状態にあるお年寄りも多くいらっしゃいます。そこで、仮設住宅にて、音楽や絵画などのアート等を使った交流ワークショップ会(年齢問わず楽しめて、仮設住宅間やボランティア皆さんと交流を深めていくワークショップ)を実施していきます。

【楽器を被災地へ贈るプロジェクト】
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今年も引き続き、楽器を被災したミュージシャンへお届けしていきます。同時に地元の方々が自ら立ち上がり主催するイベントなどへバックアップを行います。発電などの電力に、バイオディーゼル燃料での発電ができるよう、お手伝いをしていきます。

【壁画アートプロジェクト】
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保育園等の壁に壁画を描くアートセラピープロジェクトです。そもそもアート&セラピー色彩心理協会で、「世界子どもクレヨン基金」と連動し、被災者の方への支援の一環として、アートを通したメンタルケアを始めたのがきっかけです。現在はこちらでその流れを引き継ぎ壁画を一緒に描いてくれる方を探しています。

【被災地の情報発信】
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今後もHPブログツイッターフェイスブック毎日RT(毎週連載)クリナップ(HP連載)などを通して、引き続き現場の生の模様を発信していきます。

【トークイベント・講演活動】
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今こそ、「エネルギーの可能性」と「僕らに実行できること」を皆さんと共有していきたいと思います。未来を担う子どもたち、小中高大学校での講演や、その他イベントや様々な場所で交流をもちながら、意見を交換しながら、世界のエネルギー事情やどんな取り組みがされているのかをスライドトークさせて頂きます。子どもたちと「バイオディーゼル燃料作り実験」なども行いたいと思いますので、ご希望があればご相談ください。

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とくに上記の「自然・再生エネルギープロジェクト」は、根幹となる活動です。次世代へどんな地球を残していくのか、自然と共にどう生きていくのか。人類が岐路に立っている今、エネルギーに関して考え実行していくことは欠かせません。

しかし行政などの大々的な自然エネルギーへの取り組みは近頃話題にのぼりますが「地域単位で自分たちでエネルギーを作り出していくこと」「自分たちで楽しみながらできること」に関して知識を得たり実行するのはなかなか身近ではないのが現状です。

そこで今まで地球一周などで取材し調査してきた体験を活かしてなんとか実現したいと思っています。まずは被災地近くに拠点となる場所さがしから始めます。

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現在、活動資金は自分の講演料やグッズ販売金で運営をまかなっています。「一緒に支援できること」や「支援金のご協力」「支援グッズの購入」など呼びかけていますので、お問い合わせや申し込みは下記メールまで随時受付ていますので、お気軽にご連絡ください。
contact@biodieseladventure.com


僕らは3.11を忘れない。

みんなで一緒に歩んでいきましょう。
2012年のご支援をどうぞよろしくお願いします。

代表:山田周生

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2012 新年のご挨拶

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※写真は岩手県の釜石大観音と日の出


謹んで新年のご挨拶を申し上げます。


昨年は大震災に原発事故と、日本中の人々にとって忘れられない年となりました。
また、僕自身にとっても今まで体験したことのないほど走り続けた年でした。


2011年を思い起こせば、バイオディーゼルカーを使ったプロジェクト「バイオディーゼルアドベンチャー」で日本一周中、岩手県花巻市で東日本大震災に遭遇したのが始まりでした。3月11日震災直後、東北では停電、ガソリンスタンドは閉鎖、シャッターの閉まる店には水や食料を求める長蛇の列。沿岸部へ支援に向かうどころか、自分のライフラインをも途絶えた状況でした。

しかし僕には化石燃料に頼らず「廃食油」で走れるバイオディーゼルカーがある。しかもこの燃料で電気も発電できる装備、夜中でもサハラ砂漠を踏破できるようにできている4輪駆動車、情報源のラジオ、PCなどインターネットで情報を発信できる機材も揃っている。そして、今、まさに岩手県にいる。その機動力や発信力を活かして支援することができるかもしれない。いや、やらなければ。そんな決意を胸に、近隣の農家や商店街から食糧や物資を分けていただき、緊急支援のために沿岸部へと急ぎました。

すさまじい事態の現場。そして支援といってもエリアや避難所によって状況が違うため、必要とするものも刻々と変化していきます。「何をすればいいのか」毎日が模索の日々でした。現場では「これでいい」「大丈夫」ということはありません。さらにどうしたらいいのか、どうすることがベストなのかと、考えながら思考錯誤する日々でした。

(※注:支援内容については、現在報告書を作っているところです。近日中にHP上で見れる様に致します)

支援を続け、春がきて、短い夏が過ぎ、秋を迎え、そしてこの冬が経ち、10ヶ月はあっという間でした。BDFで走った距離はいつのまにか5万kmを越えていました。その間現場で見たこと、支援活動の様子はブログやツイッターで綴ってきましたが、振り返る時間もないほどめまぐるしく時が過ぎ、新年を迎えた今、ようやく少しづつ振り返ることができるようになったところです。

直後の物資支援から、心と体のケア、楽器の支援、菜の花の支援......と、時期とニーズに合わせて支援内容を変化させながら続けてきましたが、今こうして振り返り、強く思い出されること。それは被災初期に被災者の方が口々に発した「車の燃料がほしい」「電気が欲しい」という言葉でした。

震災後初期に食料や水が少しづつ手に入るようになると、どの避難所でも車や発電機の燃料を強く求められたのです。車の燃料さえあれば「逃げ遅れて瓦礫の下にいるであろう家族を探すことができる」「もしかすると家族が遺体安置所にいるかもしれない。土葬される前に家族を探し出したい」と(あの頃、あまりにも遺体の数が多いため、火葬ではなく土葬が決定されたのです。結果的には人々の懸命な活動により土葬はされませんでしたが)。行方不明の家族を探すガソリンを手に入れるために、あいているかわからないGSへ、20リッターポリタンクを背負い遠くから歩いてきた人もいました。大切な家族の行方もわからず、本部へ安否確認すら行かれない。そんな中で遺体のリミットも刻々と迫って行く......そんな人々の心境は、想像できるものではありません。
また、自衛隊がお風呂を作った、と朗報が届いても、避難所の場所によっては片道10kmや20km以上もある。当時はまだ送迎バスもなく、雪が降る日もあり、到底歩けるものでもありませんでした。そういった地域のために、天ぷら油で車(BDF/WVO)を走らせる仲間に声をかけ、最大4台となる天ぷらカーのチームを結成。避難所から遺体安置所、お風呂、安全対策本部へと人々を送迎して回りました。もしも近くにBDF精製工場やディーゼル車があったなら......とこの時ほど痛切に思ったことはありません。

また各避難所を回って残念だったのは、ディーゼルの発電機や車が見当たらなかったこと。もしもディーゼルエンジンのものがあれば、僕らのバイオディーゼル燃料をわけることができたのですが、注意深く探しても見つけることができませんでした。

今、被災地の人々は仮設住宅や新住居で生活を始めて数ヶ月。仕事を探し、生活を立て直そうとする方、未だ気力もなく辛い状態にいる方、高齢の独り身で途方にくれる方など、その方それぞれに悩みや不安を抱えながら日々を送られています。そのため仕事ができるようになるための自立支援や、心と体のケアなどが必要な時期だと思います。今後は仕事作りや仮設住宅などへの訪問を通してとくにお年寄りや子供たちへのケアを考えています。

「街づくり」に関しては、行政の復興案に住民が声を出し合いながら、それぞれの市町村で懸命に進められています。多くの人々が関心を寄せるエネルギーについて見てみると、行政が企業などと取り組む大規模な自然エネルギーの取り組みなどはまだまだ時間がかかりそうなのが現状です。

僕はこう思うのです。今回の震災で浮き彫りになったのは、当たり前のように使い、頼りきっていた、押すだけ簡単なエネルギーシステムのもろさとエネルギー自給率の低さだったのではないでしょうか。地域単位で取り組めるような身近な自然・再生エネルギーを活用できたら......という思いがつのります。

現地ではそれらに触れられる場もほとんどない状況ですが、僕は豊かな自然を内包する東北だからこそ、地域単位で行える様々なエネルギーの可能性があるように思えてならないのです。

今後の支援の方向性としては、目の前のニーズに応えるのはもちろんのこと、未来へ向けた支援としてエネルギー自給自足のプロジェクトを、多くの方々と繋がりながら進めていくことを考えています。どこまでできるかわかりませんが、目指すのは自然・再生・新エネルギーを複合的に活用して、エネルギーと食の自給自足ができるようなコミュニティづくり。今まで僕が世界で会ってきた人々は、じつに楽しそうに、柔軟にエネルギーを作り出し、心豊かな生活を送られている人ばかりでした。それらの知識を活かし、ここ東北でまずは、自然エネルギーやバイオマスと農業を合せた自給自足型のモデル(支援活動拠点)を作ることができたらと思っています。

ところで昨年の夏、災害支援活動を行う上で便宜的に「グリーン アース キャラバン」という団体を立ち上げ、沿岸部に拠点を移しました。「バイオディーゼルアドベンチャー」は、そもそも支援活動を目的に生まれたプロジェクトではないため、長期支援に切り替えたおり、災害支援活動に特化した新たなチーム名を作りました。どうぞよろしくお願いします。
このチームは法人ではなく私個人で活動しているようなものです。一人ではたいしたことはできませんが、人々が力を合わせればできることは無限にあると思います。この大震災で死亡した人の数は、行方不明者も合わせて約2万人にも及びます。大災害と原発事故。現代において最も厳しい事態を今日本が迎えていることは、避けられようもない事実です。「自分に今何ができるのか」「自分の役割は何か」みんなで知恵を出しあって、様々なボランティアの方々とも協力し合って長期的にできることを考えていきたいと思います。ぜひ皆さんのお力を借してください。

今年も精一杯自分のできることをやっていきたいと思います。また、現場での対応だけでなく、被災地のことが忘れられないよう現地情報を発信し続け、また必要とあれば日本全国はもちろんどこへでも足を運ぼうと考えています。今年もブログ、ツイッター、毎日RT(電子新聞)、フェイスブック、講演などを通じて一人でも多くの方々へ情報を発信、交換して連携していきたいと思いますので、よろしくお願い致します。

そしてこの場を借りて多くの支援をいただいたすべての方々へお礼を言わせて頂きたいと思います。日本から海外までじつに数えきれないほどの方々に支援活動に関わっていただきました。本来ならば一人一人にお礼を申し上げるべきところですが、この場をお借りしてご挨拶とさせていただきます。本当にありがとうございました。

2012年も精一杯走り続けたいと思います。
今後も応援とご協力をどうぞよろしくお願い致します。

山田周生

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菜の花大地復興プロジェクト
菜の花を植えて、景観づくり、塩害などの土壌浄化、地域単位のエネルギー生産のきっかけ作りを目指しています。
楽器を贈るプロジェクト
津波で楽器を流されてしまった、ミュージシャンの方々へ楽器を支援するProjectを始めました。
支援金募集
3月28日いわてめんこいTVで紹介された活動の様子です
2011年支援活動報告書
2011年に行なった東北大震災復興支援活動の内容をまとめまています

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