2008年8月アーカイブ

永遠のラダ

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コンスタンチンのガレージで働く若者2人が週末、手に入れた中古の車を自分たちでレストアしていた。ラダを丁寧に修理して、塗装していた。なぜ、また同じ地味な色の塗装をするのか?!という疑問が沸いたが、やはりラダにはラダの色があるのだろう。
モスクワではバブルの影響か、豪華な新車のSUVがバンバン走っている。日本車の新型車がドーッと押し寄せ、博物館からそのまま出てきたようなラダが10台に1台の割合で走っている。

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秋が忍び寄るなか燃料作り

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ユースケの誕生日

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8月30日(土)曇り 12℃

ユースケ、36才の誕生日をモスクワで迎える。昨日ナジーラと打ち合わせをして買っておいたケーキを出してきて祝うことにする。朝からケーキはちょっと、という人もいるだろうが、甘党の3人にとってはなんの問題もない。右にあるのはロシア人からもらったウォッカ。ケーキとウォッカでけっこうご満悦。

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外は相変わらず曇り空。ロシアらしい天候だがけっこう寒くなってきた。早く廃食油を集めないと・・・。

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ウオッカと友達

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8月29日 (金) 雨のち晴れ 16℃

今日は朝からブログ更新に専念する。相変わらず天気は雨が降ったり止んだりというの状態だ。午後1時、ユースケは街の中心にあるあるアルバート通りに行き両替をしにいった後、ガレージで昨日もらった廃食油をひたすら濾す作業に入る。夕方、遠心分離機からイオン交換樹脂の行程に切り替えにガレージに行く。

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ガレージに行くと従業員の若者達と会うたびにまず握手をして、互いにこちらは片言のロシア語で挨拶、向こうも「こんにちは」とか、「さようなら」ということばを覚えてきて挨拶を交わしあう仲になってきた。今日は、ユースケがウォッカが好きだということを知ってわざわざウォッカを買ってきてくれプレゼントしてくれる。また、彼らからお気に入りのCDや手作りのパンをもらうこともあった。こちらはというプリントした写真や日本語の本などをあげたりとコミュニケーションのツールになっている。なかでもクリナップさんからプレゼントしていただいた江戸暦という本は、大の人気で珍しい日本語に感動してくれる。日本ブームのモスクワの人にとって日本語の本は宝物として喜んでもらえるのでありがたい。

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カザフスタンのルート検討

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モスクワからのルートを検討しているところだ。特にカザフスタンの西から入るか、どのあたりからアスタナに向かうか、情報が少ないため迷っている。燃費のこともあるのでルート選びがとても重要になってくる。少し遠回りになるがアラル海を訪れるかどうか調べてみた。アラル海は、世界で4番目に大きな湖だが、大量の灌漑用水のために湖が枯れ、生物が住めない死の湖となっている。アメリカで訪れたソルトンレイクと同じことがここではもっと大きな規模で起こっている。少し遠回りだが、廃食油をもう少し集めればそこでなにが起こっているか見に行ける可能性が・・・

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日本食ブームのモスクワ

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8月28日(木) 雨 13℃

今日は、バスコファイブでモスクワの街に行き、街のレストランをまわり廃食油を回収しに行く予定だ。

さっそく、朝7時半にアパートを出発し、ガレージに行きバスコファイブの点検をしてからガレージを出発。アパートにもどりナジーラをピックアップしてからカザフ大使館に向かう。9時半にはなんとか大使館に到着。必要な書類を提出するがユースケの申請用紙の書き込みがきたないと言われて,書き直しさせられる。あとは招待状もOKのようで9月4日にまた来なさいといわれる。
1週間パスポートがないことになるので、身分証明書がなければホテルに泊まることも両替するにも困ることを説明すると、パスポートのコピーをとってくれ簡単なスタンプを押した紙をもらう。警察に職務質問されたとき、はたしてこれでいいのか、わからないがしかたがない。パスポートがないだけで留置所に入れられたという話を聞くだけに心配だ・・・。

今、モスクワは日本食ブームだという。およそ500件ある日本食レストランのうち、実際に日本人が経営している店は一つもないという。日本人のシェフがいるのはたぶん25人くらいだろうと聞く。いろいろ油を回収してわかったことだが、油の回転がはやいのはやはり日本食レストラン。動物性油脂がまざった廃食油だとフィルターを通して濾す段階で油が通りずらく日本食の油の何倍も時間がかかってしまう。クリーンでさらさらな廃食油が出る日本食レストランからあたることにした。


一番星1号店
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12時ちょうど、日本食レストランの「一番星」本店を訪れる。メールや電話で何度かやりとりをさせていただいていた岸本さんとご挨拶する。中に通されコーヒとお茶をごちそうになる。お茶を飲みながらバイオディーゼルのことや日本食レストランについて話す。岸本さんはこちらに来て4年になるという大ベテラン。岸本さんの話によると寿司のネタとしてはサーモンとうなぎが一番売れているそうだ。ロシア人がrollが好きだという。モスクワでは4年前は日本食レストランが240件ぐらいだったが,今では500店舗の日本食レストランがあるという。ロシアはバブルで物価が高くなっており一ヶ月で約10%上がっているという。日本食ブームに火がついたのはたぶん日本食が健康食というところから段々人気がでてきたのでは、という。



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午後2時半、レストラン「桜」にうかがう。厨房でちょうどさましたばかりの油をいただく。女性の打矢さんとキエフに居たころからお電話でご連絡させていただいていた。打矢さんはちょうど出かけていらしてお会いできなかったが、ケンさんと鳶さん、そしてウエイトレスの方にも油を入れていただく。

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桜の前を通り過ぎる車の何台かはとまって、バイオディーゼル燃料のことを聞いてくる。けっこう関心があるようで、渋滞しても関係無しで車をとめて窓をあけて話しかけてくる。がんばれ!と言ってくれる人や名刺をくれという人などさまざまだ。


一番星4号店
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最近オープンしたばかりの4号店だが、すでに客足も多く廃食油が沢山集まっていた。店の裏で油を濾してプラントに給油していると、すぐに人だかりになった。テレビや本などでバイオディーゼルのことを知っているという者も多く、思ったより関心が高かった。Alexei Nikolaevych という人(右の黄色いTシャツ)は、バスコファイブが道を走っているのを見て後をついてきたという熱心な人だった。


うどんや
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オーナーのIKEMITSUさんの話だと最初、ロシアでうどんやを開店するにあたってほとんどの人にやめたほうがいいと言われていたそうだ。しかし、オープンするとなんと連日、ロシア人のお客が沢山やってきているという。ロシア人の口にうどんが合うとはビックリだが、どうもラグマンというウズベクやウイグルの料理に似ておりもともとロシア人が好んで食べるという下地もあったようだ。

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丼ものが60%、うどんが40%の割合で出ているという。一番売れているのが鶏丼だそうだ。店員の話では、鶏丼を毎日食べにくるロシア人がいるそうだ。今後、店舗を増やしチェーン店を増やして行きたいと言っていた。キルギス人が多く厨房で働いていたので、ナジーラは久しぶりにキルギス語を話せて嬉しそうだった。(写真右下)

走行距離:75km
廃食油:130リットル
お世話になった人:桜レストラン(ケンさん、鳶さん)、一番星1号店(岸本秀樹さん)、一番星4号店(Mihail Vitalyevych Efremushkin)、Evgenyi Konstantinov、Olkovskaya Elena、うどんやさん(Ikemitsu Masahiro、Bando Naoki、Vladislav Roi)

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OFF-ROAD DRIVEの取材

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午後5時過ぎ、ロシアの4駆雑誌「OFF-ROAD DRIVE」の編集者、Evgenyi Konstantinov さんがガレージにやってきた。雑誌を見せてもらうとかなり過激な四駆専門誌だ。

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ウラジスラフ氏

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今回、このロシアに入るにあたって日本でロシアンラリーを開催する森さんにいろいろと相談に乗っていただいていた。彼の友人でロシア人のマキシムさんを介して、ウラジオストックのワレンチンさんが、燃料精製に必要な触媒をさがしていただいた。ワレンチンさん、マキシムさん、本当にありがとうございました。

この日の夜、ワレンチンさんに紹介していただいたウラジスラフさんにようやく会えることになった。ウラジスラフさんはお仕事が忙しい方で、この日までなかなか会えなかったのだ。ガレージで待ち合わせ、コンスタンチンの誘いでみんなで夕食を食べることになった。ウラジスラフさんは、コンピューター関連の仕事をしている方で以前ウラジオストックからモスクワまで車で走った経験があるという。廃食油や宿泊の手配はできなかったが、困った事があればなんでも相談してくださいと言っていただく。彼は旅が好きなのでバイオディーゼルアドベンチャーの今までの旅の話や彼のロシア横断の話に花が咲く。


お世話になった方:Vladislav(Valentinさんの紹介)、Valentin、Donya Maxim、森久志

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整備と燃料精製

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車を保管させていただいた場所が車の整備工場ということもあり、車を整備するにはとてもありがたい。さっそく、今日はオイル交換をする。実はキエフで入れたエンジンオイルがガソリンエンジン用だった。それでも走れない事はないが、念のためディーゼル用のオイルに交換することにした。エンジンオイルはカストロールの高級オイルだった。さすがオーナーがレーサーだけあっていいものがそろっている。

ウラジオストックのワレンチンさんが紹介してくれたモスクワのサポーター、ウラジオスラフさんもちょうど来られたので、みんなで記念写真を撮る。

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アレクサンドラ君

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8月27日(水)雨 13℃

宿泊先を提供してくれたアレクサンドラ君。コンスタンチンのガレージに勤める若者達の友人で彼はまだ29才だ。医者だという彼はとてもバイオディーゼル燃料に興味があるようだ。

毎日のように雨が降り、じめじめしている。ガレージで燃料を作りながらカザフの招待状を手配する。やはり、カザフスタンでダカールラリーに何度も出場しているライダーのワディムにお願いする事にする。彼は心よく引き受けてくれすぐに招待状をFAXで送ってくれた。なんとか明日にはカザフのビザ申請ができる見込みがついた。旅の後半はだんだんダカールつながりになってきた。とにかくありがたい。

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お世話になった方:Alexandr、Alexei(事務所のドライバー)、Konstantin("M-ART"の社長)、Vadim from KZ

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Mr Dakar in Moscow

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夕方コンスタンチンのガレージにもどるとメカニック達がこの車にとても興味を持ってくれ、燃料を作っていると大勢集まってきた。それではとさっそくプラントの説明とバイオディーゼル燃料の作り方をナジーラの通訳で説明しはじめる。プロジェクトが終わったら売ってくれとか、これはいくらだ?とか質問が飛び交う。

夜、9時過ぎにコンスタンチンが事務所に帰ってきた。彼は、僕と同じ2007年のダカールラリーに出場している。アメリカで作ったバハ1000仕様のモンスターバギーで出場し、部門優勝している強者。他にもエジプトやモロッコ、チュニジアラリーなどにも出場していてロシアでは知る人ぞ知る存在だ。彼は元空軍の上級クラスで空爆を担当していたトップガン。リーダーとしての資質があるのだろう。大勢の若者や人のネットワークが広く、面倒見がいい正確。タバコを吸いながらニエト・プロブレム(問題ない)というのが口癖で頼もしい。

ロシアの道には詳しい彼はルートについても色々アドバイスをくれた。

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メカニック達とワイワイやりながら、この日は夜10時過ぎまで燃料を作った。

走行距離:0
廃食油:0

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カザフ大使館へ

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8月26日(火) 雨 14℃

8:30起床。バスと地下鉄で1時間半かけてカザフの大使館に行きビザの申請をしに行く。地下鉄の地図も持っていないので通行人を止めて、どの列車に乗り,どの方向に行けばいいか聞きながらの珍道中だ。文字をみても発音もできなければ意味がわからない。駅と駅の連絡通路も距離が離れていて大変だった。

大使館に行ってからわかったことだが、ビザを申請するにはまずカザフの誰かからの招待状が必要ということだった。すぐにカザフの知人に電話をしたり、FAXを受け取る手配をしたりしたが申請時間が昼の12時までなので今日は時間切れとなった。ビザの申請には1週間かかり、日本人は申請料は無料だということがわかったが、予定ではそんなに滞在するつもりではなかったので、なんとかもっと早く取得できる方法をさがしてみる。

申請に必要なもの:
1. ビザ申請用紙
2. 写真1枚
3. パスポートのコピー
4. ロシアビザのコピー
5. カザフスタンの招待状

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その後、近くのメトロの乗り口にあるトルコ料理屋に入って軽い食事をする。日本なら3人で1500から高くても2000円程度の食事なのに請求書をみると日本円で1万円。それはおかしいとよくよくレシートをみると打ち間違えだったことがわかった。それにしても支払ったのおよそ1000ルーブル。約5000円だ。モスクワの物価の高さに驚く。なんとか午後3時半ころ帰宅。午後4時からコンスタンチンのガレージで燃料を作りをする。

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ついにモスクワ到着!

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8月25日(月) 曇り時々雨 今朝20℃、午後18℃

朝8時、バイオディーゼル燃料をプラントから車に給油する。昨日の国境ではすでにエンプティランプがついていて、けっこうガス欠寸前だったのだ。国境でプラントを出して給油するわけにもいかず困っていた。ホテルで朝食をとり、モスクワに向けて9:40に出発した。

昼にトラックドライバーが寄るようなカフェ兼食堂で車をとめる。そこのおかみさんは化粧が濃く、ふくよかな体つきが印象的だった。メニューはあったが、ほとんど今出せる物はないと言われ、しかたなくピロシキとホットドックのようなものとスープを頼んだ。お茶にスプーンがついてこなかったのでスプーンを頼むと、スプーンはないと言う。「日本は先進国で豊かな国だけど、ロシアは物がなく貧しい国なんです」と言われ、大国ロシアでバブルなモスクワに近いところでも日本に対してそんなイメージで見てるのかと思うと考え深いものがあった。さらに廃食油を尋ねると油は使い切ってないそうだ。やっぱりロシアで廃食油を探すのは難しいようだ。

バイオディーゼルカーの話をしたので、おかみさんが見たいという。外に停めてある車のところに行きプラントについて説明することになった。リヤハッチを開けて説明しているとあっと言う間にまわりにいたトラックドライバー達が集まり、とても興味深くいろいろ質問される。特によく聞かれるのはこのプラントはいくらするのか?というのが多い。また、水で走る車や電気自動車のことを知っているという話も出た。水で走る車の話は他でも時々聞いた覚えがある。結構、そういった新しい燃料の車に興味があることがわかる。

途中でガソリンスタンドでタイヤに空気をいれようと止まったところ、アメリカ製のトラックで走っているベラルーシ人がやってきてプラントについて色々聞いてきた。Biodiesel燃料についてテレビで見たそうだ。燃料にとても興味を持っているという。以外とバイオディーゼル燃料について知っている人はこちらの国でもいるようだ。

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夜6時ごろモスクワの南部に到着した。ルート上にある「一番星」と言う日本食レストランにたちより油をわけていただく。すでに話は伝わっていたので、話は早く貯めておいていただいた60リッターをさっそくいただく。続いて一番星3号によらせていただくと、なんと80リッターも貯まっていてビックリ。一番星のみなさんありがとうございます。

雨が降ってきて,モスクワの中心部は大渋滞で全然動かない。キエフ出発のぎりぎりまでモスクワの滞在先が決まっていなかったが、ユーリの紹介でダカールラリードライバー、コンスタンチンがガレージを貸してくれることになった。彼のガレージに着いたのは夜の10時になっていた。10キロほど進むのに2時間ぐらいかかったことになる。今日の宿泊地に着いたのはおよそ11時、近くのイタリアンレストランで遅い夕食をとる。

※注:この日と昨日のユースケが撮影した写真は、保存したハードディスクのトラブルで取り出せず、写真をお見せできません。一番星のみなさんすみません。もう一度油をとりにうかがったときに改めて撮影させてください。

距離:546km
廃食油:140リットル
お世話になった方:一番星2号店--Gerasimovsergey Anatolyevych(店長)、一番星3号店--VinogradovOleg Alexandrovych(店長), Lyudmila Mandjieva-maneger, Andranik Sarkisyan (コック)、Konstantin Mesheryakov, Alexandr.

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ロシアの国境へ

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8月24日(日) 晴れ 34℃

やっと、キエフを出発する日がきた。ユースケ達はキエフにおよそ2週間ほど滞在していたことになる。約200リットルほどの油を集めてようやく出発することができた。朝、8時からアパートの荷物を片付け、車とトレーラーに荷物を積み込み始める。国境の税関で問題がおこらないように整理してパッキングする。(特にメタノールタンクにはビニール袋をかけ、その上にキッチンペーパーや水のボトルを載せたり、テントなど荷物をごちゃごちゃ積む)

午前11時、アパートを出発。東に向かって片側3から4車線ある幹線道路を走る。途中北東に向かうあたりから2車線くらいの道になり、交通量も減ってきた。途中、ひまわり畑があったので路肩に車を停めて,撮影がてら小休止する。キエフからロシアに向かう幹線道路なので国境まで楽勝かと思いきや、あと150キロほどで国境というところでポリスが立ちはだかり、道を封鎖していた。トラックや車などが数台止まっていてなにごとかと思いきや、どうもこの先の道路が工事中で通過できないということで迂回しなければならないというのだ。

しかたなく細い田舎道を北上するが、道が悪くスピードが出せない。また、GPSで道を見るとかなり北上してから迂回しなければならないようで燃料が心配だ。途中の村で道路の状況について尋ねるともう一つ北にロシアに抜けるルートがあるのでそちらに行った方がいいという話も聞く。しかし、迂回した車はみな最初のルートにもどっているようなので、どちらに行くべきが迷う。北に上がってしまうとモスクワまで遠回りになってしまうので、できたら元の道にもどりたいところだ。バスの運転手や地元の車のドラバーに聞いて情報を収集するが、いまいちはっきりしない。
ロシアナンバーの車がけっこう反対方向からやってくるのと,迂回した車が元の道へ行く様なので思い切ってそちらに行く事にする。燃料の余裕がないのでミスは許されない。

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線路を越えるとやっと幹線道路にもどることができた。工事中だが,結構車が往来している。走れそうだ。よかった。しかし、しばらくいくと今度は工事用のローリーが道を塞ぐ。1人の男性が、ここは通れないから左へ行けという。しかたなく指示にしたがって北上するがGPSをみても迂回する道がないようだ。困ったなと思って立ち止まっているとロシア側から来た車がやはり、さっきの男の指示でこちらに迂回させられこっちにやってくるのが見えた。その車を停めて、ロシア側への道の状態を聞くとここから先は問題なく通過できるという。そうか、走行可能ならなぜ迂回させるのか?!

どちらにしてもロシアから来た青年と情報交換し、お互いにやはり先ほどの道にもどろうということになり、Uターンする。ロシアの青年が先ほどの分岐で、例の男性と話をしている隙にこちらはロシア側へ左折して、さっさと元の道にもどる。
道は快適に延びていて、国境までこのまま行けるかと思っていると、そうはいかない。その道は工事中で全面通行止めになってしまう。路肩のダート道がかろうじて走れそうだが,土のフカフカな上かなり傾斜がきつい。向こうから来る車はほぼ30度ほど傾斜した悪路をなんとか走ってくる。車が横転しそうなくらい傾く場所がある。しかし、このルートしかこの先道がない。しかたなく覚悟を決める。しかし、この傾斜だとトレーラーが傾きすぎてねじれて転がりそうだ。一か八か、やることにする。ここでひっくり返ればすべては終わるかもしれない。
ダートに入ってみると溝が掘れていて思ったより右に傾く。屋根にも油があり、重心が高いし,車内の右側には70キロの発電機など200キロ以上の重さの荷物が積んであるのでもともと右に重心があり、さらに右に傾いてる感じがする。しまったと思ったが行くしかない。ゆっくり走っているとスタックしそうなフカフカな道なためある程度アクセルを踏んで行かなければならない。しかし、一瞬砂につかまりそうになったがなんとか前進していく。トレーラーも左側車輪が持ち上がり,横転しそうだ。こんなに大変な道はアフリカでも経験したことがない。なぜウクライナでこんなに大変なことになるのだろうか、とぶつぶつつぶやきながらなんとか魔の500メートルをクリアすることができた。ここがもしかすると今回の地球一周で最も道が悪い場所なのかもしれない。とにかくよくこの悪路をトレーラーを引いて通れたものだ。

しばらくすると国境の14キロ手前でまたもや工事中のため道が通れなくなっていた。ポリスに止められて違う国境ルートを勧められるが、モスクワまで行くには遠すぎる。燃料が足らないので森の中のダート道を通り近道をすることにする。最短ルートがわからず困っていると黒いランクルで現れたユーリさんが現れ、僕らのバスコファイブを携帯カメラを出してバチバチ写真を撮り始める。なんとテレビか、新聞で僕らの事を知っているというのだ。彼は、その森を抜ける道を知っているので案内してくれると申し出てくれた。森の迂回路は約10キロほどだが道が悪い。ユーリさんはピカピカの黒塗りのランクルで辛抱強くこちらにあわせて走ってくれた。別れ際に「トヨタ、一番」と言って親指を立ててあえた事を喜んでくれた。彼はトヨタの大ファンだったのだ。

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ウクライナの国境に午後6時ころ到着した。着くとすぐに黄色い蛍光色のジャケットを着た若い青年が車の停める位置を誘導して、自賠責保険に加入するようにすすめる。車を停めるとすぐに人だかりの山になった。みなカメラや携帯カメラを出し撮影し始める。どうもテレビのニュースや新聞で読んで、ここを僕らが通過することを知っていたらしい。こんな国境まで僕らのことが有名になっていたようだ。

誘導の青年に連れたられて道の脇にある小屋で自賠責保険の加入手続きをする。3ヶ月の加入で110ユーロだった。自賠責保険の書類を持って,今度は国境へ行く。ウクライナの国境警備隊なのだろうか?こちらに来て、どうも賄賂を払えと言っているらしい。順番待ちの後ろの車に通訳をしてもらうと、係官はどうも賄賂を要求しずらくなって、そのまま通って良いということになった。きっと公然と賄賂を要求できないのだろう。しかし、これだけでは終わらなかった。税関検査では車を停め、係官から荷物を全部下に降ろせと言われる。こちらがロシア語がわからないと知ると「プレゼント」「プレゼント」と連発する。自分一人だけ呼び出され、小さな部屋でお金の話をしてくる。ドルまたはユーロがあるか?と聞いているようだ。部屋の中には若い係官の女性と男性が3人ほどいて、公然と賄賂をだせと言っているようだ。らちがあかないと見ると、わざわざロシア語と英語がわかる旅行者を連れてきて賄賂を払えば、荷物は全部ださなくてもいい。賄賂を払わないと荷物を全部降ろし、お金を払わないと時間がかかるぞという意味のことを通訳させた。なぜ、回りのポーランドやウクライナの人には賄賂を要求しないでこの日本人の僕だけ賄賂を要求するのか?と聞いてみるが、日本人は金があると思うのか、どうもワイロを積まないと先へは進めなさそうだ。

ロシアの入国が大変だとは聞いていたが,ウクライナの出国でこのような賄賂を要求されるとは考えてもいなかった。今までの経験からも入国に手間取っても出国が大変ということは無かったので,ビックリ。賄賂はできたら使いたくなかったのでだいぶ時間を稼いだのだが、しかたなく前もってポケットに用意していたユーロを差し出すことにした。
「プレゼント」と叫んでいた係官が、しばらくしてパスポートを返され、これを入国係官に持って行くように言われる。自分のパスポートを調べるとなんとさきほどの5ユーロが挟まれていた。それをそのまま係官にパスポートごと渡すと、その女性の係官はパスポートに挟まれたユーロを発見し、こちらをみて「これを私にくれたのね?」という顔をしたのでうなずいてみせる。そそくさと彼女はそのユーロをしまい、さっそく手続きに入るがなんとスムースに手続きが進んで行く。入国審査を通り、税関の係官のところへ移動する。そのときも彼女が便宜を計ってくれたが、トレーラーの書類(登録書)がないということで、またストップ。フランスで買った領収書をみせるが登録書がないので時間がかかる。どうもトレーラーを購入するときにはその登録が必要のようだ。購入したときになにも言われなかったのでまったく知らなかった事だ。

ウクライナの国境を出たのは夜の9時。ロシアの時間で午後10時(1時間時差がありタイムを進める)もう真っ暗だ。今日の宿も決まっていない。ウクライナとロシアの国境の中間地点で車を停め、パリのトシさんにいただいたお香を焚くことを思い出した。車にしまってあったお香を取り出し、車と荷物、人を清めこれからの旅が安全にそして、うまく行くように星空の下祈った。

いよいよもっとも難関だと思っていたロシアの国境に入る。覚悟を決めていく。ロシアの国境は人も少なく簡素だった。車を右に寄せて停め、まずパスポートを提出。その後、荷物の検査に移る。トレーラーの荷物をめくり荷物を出せという。トレーラーの後ろの扉をあけろと言われ、扉の留め金がしぶくなかなかあけられないでいるともういいと係官に言われ、今度は車のリヤハッチを開けろという。ハッチをあけるとカモフラージュでいろいろ積んであった荷物が転げ落ち、あまりの乱雑な荷物が詰まっている状態をみて、もういいと言われる。トレーラーは、日本から持ち込んだことにして日本ではトレーラーの登録はいらないといいはると、わかったといってトレーラーと車の書類を税関で作ってくれる。これを持っていれば途中警察に停められても大丈夫だという。親切にもこんな書類を作ってくれるとは。ありがたい。ありがたい。ロシアの国境ではワイロのワの字もでてこず、スムースに越える事ができたので、あれだけ覚悟していたので、なんだか拍子抜けしていまう。これはお香のせいか。または、係官が夜で疲れていたのか。とにかく、ありがたいことにすべてのものを持ち込むことができた。

ロシア国境に1時間半費やす。ロシア国境を越えたのは夜の11時半。このうちトレーラーの書類を作ってくれたり、宿の道を案内してくれるなどに費やした時間を考えると正味一時間でロシア入国手続きは終わったといえる。

国境事務所の係官は、ホテルまでの地図を書いてくれたり、モスクワへのルートを丁寧に教えてくれる。ほんとうにロシアの係官は親切だった。夜12時にホテルに着く。ホテルの代金をユーロで払えないため、近くにあったガソリンスタンドまで行き、両替をする。ホテルの人は国境に両替所があるというが、夜だったせいか、みあたらなかったからだ。$1あたり22ルーブル。1ユーロは34.0だった。300ユーロを10400ルーブルに両替する。
ホテルー"Korimos"一人部屋−600ルーブルで、二人部屋−1000ルーブル(1人、500ルーブル)だった。ホテルの男性から今年、イタリア人がbiodiesel燃料でイタリアからモンゴルまで走った人がいて、このKorimosホテルで泊まったという話を聞く。


走行距離:384km
お世話になった人:Yuryi Suhoruchenko(ランクル乗り)
         Vladimyr Alekseevych(国境の係官)

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独立記念日

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8月23日(土) 晴れ 32℃ キエフ

明日は、ウクライナの独立記念日ということもあってキエフの街の中心では、いろいろな催しが行なわれていた。

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チェルノブイリ博物館
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チェルノブイリ原発事故の悲劇を記録した博物館がキエフ市内にある。事故処理に実際に使われた防護服や車両などの展示、膨大な写真や資料が保管されている。特に驚いたのが原発事故の現場とこのキエフが150キロも離れていないところにあったということだ。風の向きが悪ければキエフ全体が死の街と化していた可能性があったわけだ。こんなに近いところに原発が作られていたとは驚きだ。当時、風が南から北に吹いていたのでウクライナよりもベラルーシの方が被害が大きかったようだ。今もチェルノブイリ原発と同じ型の原発が稼働しているというのだからなんだか恐い気がした。

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ユースケとナジーラは、アパートでスカイプを使ってロシアのレストランに電話をかけて廃食油を交渉する。やはり、その日に行ってその日にもらえるということはなかなかない。もっと早く連絡していれば廃食油をとっておいてあげれたのにというところもあるので、ここは時間があるときに電話連絡しておくほうがいい。

午後4時頃、ナジーラと写真をピックアップしにいった。SIXTのみなさんになにか、記念に差し上げようと写真を加工してプリントし、額に入れて送ることにしたのだ。それが今日できあがるというのだ。写真をピックアップした後、床屋をのぞく、ずいぶん混んでいたのでやめることに。市場のようなマーケットでズボンのベルトとスイカとインスタントコーヒーを購入。
帰ってからブログの更新をする。

午後7時ころ、SIXTのドライバーがアパートまで迎えにくる。明日の出発に備えてSIXTの駐車場からバスコファイブを取りに行く。トレーラーを連結して夜9時ころアパートにもどってくる。あまり目立たなく、安全に駐車できるところを探してアパートの前に車をとめる。ついでに2階の窓から電源コードをたらして車の中でバイオディーゼル燃料を作る。


走行距離:0
廃食油:0

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ひまわりのサムライ

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ウクライナの新聞「ウィーエンド」にひまわりのサムライというタイトルで紹介された。ウクライナのレストランで使われている油はほとんどひまわり油が使われているため、ひまわり油を集めて地球一周している日本人として書かれているようだ。

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キエフの街を散策

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8月21日(木) 晴れ 33℃

バイオディーゼル燃料も160リットルの精製が終わり、バスコファイブもようやく走る事ができるようになった。油を集めていたときにぜひ車を見たいというお店にお披露目を兼ねてキエフの街を走ることにした。

長い間駐車場にとめていたバスコファイブは埃だらけになっていた。まずは洗車をすることにした。幸い、このSIXTには洗車ができる設備もあり、さっそくお願いする。

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SIXTのスタッフは全員僕のプロジェクトはよく知っていて、この2人の洗車係の人もこの先に30キロほどいったところにレストランが一杯あるぞ!と心配してくれていた。本当にありがたい。丁寧に洗ってもらい、バスコファイブはみちがえるほどピカピカになった。気持ちがいい!
出発前に遠心分離機の中に入っている釜を外す。一番後ろに乗っている遠心分離機の中の液をためる釜の軸受けがとても弱いため、アメリカの長旅でキズが入ったようだ。出し入れが渋くなっていて軸受けが少しかけているため、ヨーロッパに入ってからは走行中必ず外すようにしている。手間がかかるが、手間を惜しむと後で困るのは僕らだ。面倒という言葉のバイオディーゼルアドベンチャーの辞書にはない!(カッコつけすぎ?)

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町の中心部で雄介が両替に行っている間、どんどん人だかりになって行った。なんとバイオディーゼル燃料を作っているという人が声をかけてきた。ウクライナにはどうも3社ほどバイオディーゼル燃料を作っている会社があるらしい。
そのうち本格的に稼働しているのは1社みたいだ。その工場はキエフから南に500キロほど離れているという。これから向かう方向とは反対なので、よりたいが燃料が足らない。どちらにしてもバイオディーゼル燃料関係者に会えただけでもすばらしい。
また、個人でバイオディーゼル燃料を作ろうと思っているという人もやってきていろいろ情報を教えてくれた。急にバイオディーゼル燃料のことでいろいろ人と会い始めビックリ。
また、韓国人でストリートパフォーマーだというウォンさんに会った。4年かけていろいろな国を訪ねてパフォーマンスをして、みんなを癒してまわっているのだという。次は車(バス)で家族でアフリカを廻りたいという。できればバイオディーゼルで走りたいので話を聞かせてくれてというのだ。お互いになにかサポートできればいいね、とこの先のことをいろいろ話した。

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前回エンジンオイルを交換してからほぼ5000キロを越えたのでオイルを交換することにする。オイルフィルターとオイルを交換するのを頼む。しかし、オイルはAPI:SM/ILSAC:GF4と書いてあり、どうもガソリン用のオイルだ。ディーゼルはDH竏窒Q/API:CF竏窒Sを選ぶ必要があるが、これでも大きな問題はないようだ。

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中華料理店「Lun Vun」

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まだ、僕がキエフに到着する前ナジーラが電話でこのLun Vunという中華のお店の店長と話をしていた。店長は、このプロジェクトにとても興味を示していて、ぜひ僕から直接話を聞きたいと言ってくれた。

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廃食油:20リットル
お世話になった店:中華料理店「Lun Vun」、ウクライナ料理「Tsarskoe tselo」

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ついにチキンキエフとご対面

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ずーっと、チキンキエフのことは話に聞いていて一度食べてみたいと思っていた。このウクライナ郷土料理専門店『Tsarskoe tselo』で、廃食油をいただいたこともありぜひここでランチにチキンキエフを注文してみようということになった。チキンキエフは注文してから40分かかるという。揚げるのにけっこう時間をかけて調理するらしい。ますます、期待が高まる。

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ウエイター、ウエイトレスの衣装は、ウクライナの田舎でこんな格好をしているそうだ。なんだかほのぼのとする感じで気に入ってしまった。油をみんなに入れてもらう。

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調理場のコックさん達がプラントに興味をもってくいれたので丁寧に仕組みを説明した。マネージャーや大工道具係の人もとても親切で感じのいい人ばかりだ。なんとここには油をいただきに3回も訪れている。もう、顔なじみだ。

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お待ちかねのポトフが運ばれ、つづいてチキンキエフが登場。中は空洞になっていてバターとパセリがドローっと出てきて美味しそうな匂いがただよう。外側の衣はやや固めで歯ごたえがある。鶏肉もたっぷり入っているので食べごたえが充分ある。やっと、念願のチキンキエフが食べられた。この揚げた油がバスコファイブの燃料になっているのだ。モスクワまできっと排気ガスの匂いはチキンキエフの匂いがすることだろう。

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カジノに宝が・・・

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8月20日(水) 晴れ 34℃

朝、雄介に1人でレンタカーでSIXTに行ってもらい反応タンクのグリセリンを抜き、遠心分離機に移してもらうことにする。自分は朝からこの旅の記事を連載するコラムの原稿に集中する。ナジーラには、カザフやモスクワの人達に電話して油の手配、宿などのリサーチをしてもらう。

午後4時過ぎ、カジノに向う。以前何度か電話していたのだが、直接カジノに行っても会えないなど、あきらめかけていたところだ。しかし、先日コックのセルゲイさんは電話で油があると確かに言っていた。ここはビリヤード、パブ、ボーリング、カジノ、パーティバー、ストリップバーがあるらしいのだが、ほんとうに油があるのだろうか?ナジーラは、行きたくなさそうなので、ここは男2人でロシア語はまったくだめだが体当たりしてみることにした。玄関では顔見知りになったボディガードに話をつけて中に通される。話は通っているみたいで、バーのウエイトレスにコーヒーにしますか、なにか飲み物を飲みますか?と聞かれ、あれ?飲み物を飲みにきたんじゃないのだけど、勘違いされているのではないかと思いきや、実はとても丁重にもてなされていたことが後でわかった。出されたエスプレッソは非常にうまい!(最近こんなうまいエスプレッソを味わっていなかった)

しばらくするといかつい体格のコック長のセルゲイさんが現れ、すごく紳士的に地下の厨房に案内される。油はなんと55リットルもあるという。雄介と僕は思わず顔をみあわせた。思わぬ収穫にうれしくて顔がほころぶ。厨房はピカピカにきれいで対応もとてもジェントルマンな方たちばかりでビックリ。カジノというだけで中身を判断してはいけないものだということを学んだ。

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その後、SIXTに行ってバッテリーのフィックスにいく。取り寄せたバッテリーが小さいためうまくフィックスできないのだ。SIXTのメカニックに手伝ってもらいなんとか取り付けた。

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廃食油:55リットル
お世話になった人:"Maximum"(Sergei Shekun)

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バッテリーが届いた

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8月19日(火曜日)晴れ 28℃

ベルギーから調子が悪くなっていたバッテリーを調べたところ、2個あるうちの1個がチャージしていないことがチェコでわかった。2日走らないとバッテリーがあがってしまい、エンジンがかからないという現象が起こっていた。
容量の大きな特殊なバッテリーを積んでいるので、同じ物はトヨタのディラーや一般の車両関係では今までみつからなかった。今回お世話になっているSIXTの会社では黒海に面した街にも支店があるので、マリンボート用のバッテリーを探してもらったところ似たタイプのものを見つける事ができたのだ。さっそく、取り寄せてもらうことになって今日届いたのだ。

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ウクライナ料理"Tsarskoe tselo"で22リットル油をもらう。お店の人がバスコファイブをみたいというので21日の午前11時にまた来る約束をする。

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以前からナジーラが電話していてくれた"Jemchujina"と言うお店に行く。店長はVladimir Alekseevychという方で、心よく迎えてくれた。店は1年前に始めたそうだ。店の中を案内してくれ、自家製のジュースをご馳走になる。廃食油6リットルをいただく。

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"Shangrila"
ウズベク料理と日本食をやっているという"Shangrila"を訪ねる。店長の計らいで6リットルほどの油が用意されていた。ここもナジーラが電話をして話しておいてもらったところだ。店のマネージャーが気を聞かせて下の厨房に案内してくれた。厨房のコック達はウズベク人が5、6人働いていた。そこの空間だけウズベキスタンに飛んだような雰囲気があった。なんだか不思議な空間だった。とても良い人達でウズベクパンとジュースをごちそうしてくれた。ナジーラは自分の国の隣の国の人達に会えて、なんだかホッとした顔をしていた。やはり同郷の人達に会えたから嬉しいのだろう。

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走行距離:0
廃食油:34リットル
お世話になった人:"Tsarskoe tselo", "Jemchujina"(Vladimir Alekseevych), 日本食とウズベキスタン料理の"Shangrila"(Elena Valer`evna Sherbinkino)

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イオン交換樹脂の洗浄

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8月17 日(日曜日) 晴れ 35℃

イオン交換樹脂の清掃の時期が来た。このプラントの中でも重要な装置、イオン交換樹脂は、寿命がある。でも洗浄するれば何度でも使えるすぐれもので、およそ1万キロから1万5千キロ走行したあたりで洗浄が必要になる。これが地球一周の全行程の中で2回目。イオン交換樹脂は特にエンジンに悪影響を及ぼすグリセリンとカリウムを取り除く装置で、このドライフィルタ−の要の部分。でもこの装置は、最初からこの形で販売されているものではなく、手探りで作ったものなので洗浄方法も説明書や解説書があるわけではない。毎回、どうやって洗浄するか試行錯誤でやらなければならないので大変な訳だ。

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限られた場所と限られた部品をうまくつかってやらなければならないのでけっこう時間がかかる。まずはイオン交換樹脂をカートリッジから抜くことから始まるが、プラスチックのようなボールの玉はそう簡単に抜く事ができない。ポリタンクにあけてガッシャ、ガッシャとふって洗い、プラントに取り付けて再度薬品を流し、時間をかけて液を流し込み、半日かけて洗浄した。

夕方、ユースケとナジーラは、レストランを回って廃食油を探しに行く。 SIXTのパーキングでイオン交換樹脂の洗浄を引き続き行ない、同時に燃料の精製にあけくれる。アパートに帰ったのは夜中の12時だった。


走行距離:0
廃食油:0
お世話になった人:Yuryi Cherkashchenko, Oksana Ohiyevych,

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再びオイル探し

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レンタカーに4人乗ってオクサナさんが連絡をとっておいたいただいた店「BELL-VUE」に行く。なんと30リットルの廃食油が用意されているではないか。

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次に「STINA」と言う店でも86リットルという大量の廃食油をもらい。大感動。そして、ドイツ料理の店「SHNITSEL」と言う店で10リットル油をもらう。

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少し中心部から離れているが、キエフの南側に位置する人気のウクライナ郷土料理店の「TSARSKOE SELO」で23リットルをいただく。今日一日で一気に油が集まり始めて、なんとかモスクワへの道がみえてきた。もどったのは夜の10時を回っていた。疲れたというよりは油が集まった嬉しさで、さっそく部屋で油を濾し始めた。

走行距離:0
廃食油:149リットル
お世話になった人:ベルギービアカフェ"Belle-Vue"、 ベルギービアカフェ"STINA"、ドイツ料理"SHNITSEL"(SHOTOLYUK NATALYA VLADIMIROVNA)、ウクライナ郷土料理"TSARSKOE SELO"(ROMAN NIKOLAEVICH)

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聖ミハエル黄金ドーム修道院

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難航していた油探し

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8月16日 (土曜日) 晴天 35℃

ロシアに近づけば近づくほど廃食油は手に入らないと聞いていた。ロシア圏では料理に使った油は最後まで使い切るか、捨ててしまうので油は貯めていないと聞く。
そのためユースケとナジーラには僕が到着する1週間前に、キエフに入ってもらい、廃食油を集め始めてもらっていた。彼らは100件以上の飲食店に電話して問い合わせ、また足で歩いて廃食油を集めにまわったが、1週間たった15日の時点でもまだ廃食油は集まっていなかったのだ。

14日から15日にかけてほとんど寝ずに運転したいたので約12時間バク睡した。午後2時、SIXTに行くと、会社のレンタカーを自由に使って廃食油を集めてくださいと申し出てくれた。考えられないほどのサポートになんて御礼を言えばいいのだろうか。さらに社長秘書のオクサナさんが、油集めに同行してくれた。

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キエフで記者会見が待っていた

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8月15日 

ハンガリーのブダベストから約1200キロ走り続けてキエフに着いたのは、朝の6時過ぎごろ。雄介達がいるアパートに着いたのは8時を回っていた。友人のユーリが今日12時から記者会見を段取りして待っていてくれた。10時半にはアパートを出なければならない。シャワーを浴びて服を着替えて、寝る暇もなくすぐに記者会見の会場に移動する。ほとんど寝ていないのでもうろうとする中、会場に着くと約38のメディアが集まると聞く。テレビ局が8社、その他新聞社、雑誌社などだ。こんなにすごいことになっているとは思っていなかったのでビックリした。
通訳をやってくれるナジーラも、まだこのプロジェクトをすべてを把握している訳ではないので、ぶっつけ本番ということになる。
会場は人が入れないほどの人数にふくれあがり、SIXT社のプレス担当のウラジミールさんが、記者会見の口火を切った。
スクリーンには僕がバイオディーゼル燃料で走った時のビデオを流し、いろいろな記者からの質問にあった。
一通り話しが終わった後、会場の外にとめてあるバスコファイブのところに移動して、今度はプラントの説明や車の説明に入った。店の前の道路がスペースで他の車もとめてあるため、狭く、大変な状況だった。今までの中でこれだけメディアが集まったのは初めてだ。

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8月15日 晴れ 34℃

ここでパリから合流したサッチン、ロンドンで合流したタツヤとお別れだ。2人のおかげで無事油を集め、燃料を作りながらキエフまで着く事ができた。本当にご苦労様でした。そして、ありがとう。

2人の熟練した油の見分け方、濾過などのノウハウをキエフから合流する明石雄介、ナジーラにコツを伝授してくれた。

雄介とはかれこれ13年のつきあいがあるフリーカメラマン、やはりバイク乗りだ。ドキュメンタリータッチの今までの取材活動には定評がある。ナジーラは、キルギスの知人で現在は日本語をビシケクで教えている先生だ。本来は彼女の友人、マハバットが同行するはずだったのだが、彼女が来れなくなり急遽ナジーラが来ることになった。実はナジーラとは10年以上前にあっただけで、久しぶりに会うことになった。

2人はすでに1週間ほど前にキエフに到着していて、廃食油を集めるのと次の旅への準備をしてくれていたのだ。これからロシアに入るがバイオディーゼルにとって最も未知な領域におともしてくれる強い味方だ。

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SIXT

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ユーリとはダカールラリー仲間。彼の所属する会社は、レンタカーや車を販売する会社でウクライナでも大手の会社だ。社長は、毎年,ダカールラリーやその他のラリーに出場するドライバーで、こういったことにとても興味をしめしてくれ、このバイオディーゼルアドベンチャーにも協力してくれたというわけだ。

記者発表の用意やバスコファイブを自社のパーキング(24時間警備)に留めさせてくれ、キエフ滞在中レンタカーを足に貸してくれた。さらに廃食油さがしも手伝ってくれるなど、信じられない待遇にびっくり。

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www.sixt.ua
www.dakar.com.ua

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ウクライナに入る日

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8月14日(木曜日) 晴天 40度
朝、6時半起床。7時に日本語が達者なエリザベットが作ってくれたおにぎりと漬け物、コーヒーをご馳走になった。荷造りをして8時ころペンションの前で記念写真。今年、10月にはこの家を引き払い竹崎さんとエリザベットは四国に引っ越すそうだ。お話を聞くとお二人の縁の深さにぐっとくるものがある。ぜひ、日本に帰国した際には四国で再会することを約束して別れを告げる。一晩でしたがお会いできてとてもよかったです。お二人とも末永くお幸せに。

ところで今日はキエフまで約1200キロを走らなければならない。それに難しい国境も越えなければならないので、いったいどのくらい時間がかかるか予想すらたたない。タツヤとサッチンは、ここでお別れと言っていたのだが、なんとキエフまで同行すると今朝になって決めたらしい。今日は、僕の誕生日だ。ブダベストからキエフまで記念に残る一人旅かなって、思っていたが、どうやら道連れが増えた。きっと、1人では不安に見えたのだろう。ありがたいことだ。

素敵なブダベストにはまた訪れようと誓い、ウクライナに向けて出発。ペンションの方には国境が大変込み合い、賄賂を払わないとなかなか通してもらえないなど、苦労話を聞いていたので覚悟して行く事にする。

高速道路M3はNviregyhazaまで延びていた。そこから一般道になりウクライナの国境まで一車線の道路が延びる。昼の12時半ごろ国境到着。トラック、バス、乗用車のレーンがあり、乗用車の列に並ぶ。長い列が続いている。外気温は40℃を越える暑さで待つのも大変だった。

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まず、ハンガリー側の出国は若い係官一人いるだけでパスポートをみて一人笑っていた。しゅうせいという発音が面白いらしく、ニヤニヤ、一人含み笑いをしていた。とてもフレンドリーな感じで出国は簡単そうだ。しかし、国境の橋を渡ると自動小銃をもった兵隊が2人おり、状況はかなり変化する。緊張が走る。笑いなどどこにも無い感じでとうとうロシア圏に入ったのだという実感がこみあげる。パスポートコントロールでパスポートチェックに待たされる。でも賄賂を払う様な雰囲気ではぜんぜんない。係官も結構親切でパスポートをみてはニヤっとする。笑顔がでるだけいい感じだ。パスポートも無事スタンプを押してくれ、今度は車両検査。トレーラーの中身をみられ、いろいろ係官通し話をしているがバイオディーゼルのことを言うとなんとなく知っているようでなんとか書類にハンコを押してもらい、OKがでる。
入国審査に1時間くらいで無事ウクライナに入国することができた。思ったよりもスムースだったのでちょっと拍子抜けしたが、通過できたことに喜ぶ。
少し進んで近くの小さな両替場で100ユーロをウクライナのグリヴナに換金する。

100キロほど進んだところで昼食と電源を借りて休む事にする。(午後4時から5時滞在する)ここはトラックのパークみたいで「トラックサービスカーパーク」と読んでいるらしい。しかし、ただ一件の大きな家があるだけでそれらしい雰囲気はない。ここはレストランとホテルになっているようだ。レストランのおばちゃんは気の良い人で僕のことを気に入ってくれていた。一緒に記念写真を撮る。おばちゃんの名前は、Anya(アニャ)。英語が少しできるホテルの受付嬢のNatasha(ナターシャ)。トラック野郎はローマという名前だった。
ここで食事をする間、遠心分離機を回して精製を進める。ここで遠心を終わらせてイオン交換樹脂に精製の行程を進める。遠心を回しているときは走行できないがイオン交換樹脂を作動しているときは、車両のバッテリーからとっているインバーターを使って精製を行なえるから走りながら作る事ができるのだ。

この後600キロを走らなければならないのに、道が思ったよりも悪いので平均速度が60〜50km/hぐらいでしか走れない。この分では明日朝4時頃の到着になりそうだ。幹線道路を走っているのだが、道がとにかく悪い。
夜中に通ったところで今まで走った中で一番悪い道を通った。しかし、多くのトラックが行き来している。車が壊れそうな道がどうどうと幹線道路になっているからすごい。また、真夜中、高速道路(?!)を87キロで走行していたとき、警察に止められる。17キロオーバーだそうだ。制限速度の標識は走行中一度も見た覚えがない。
朝6時過ぎにキエフの到着。SIXTの会社でユーリと合流。アパートまで連れて行ってもらう。アパートで待っていた雄介とナジーラにやっと会える。

走行距離:1182km

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燃料フィルター交換

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8月13日(水曜日) 曇り時々晴れ 30度
朝ペンションの支払いをすませ、トレーラーをまずは車にジョイントしてトヨタディーラーに向かう。燃料フィルタ−を交換するためだ。豊田通商のディーラーらしい。
大きな店で対応もとてもよい。きれいなオフィスで飲み物がフリーで配られる。少しすると奥から営業らしき人がでてきて、物腰の柔らかい対応をしてくれる。フィルタ−交換のお願いをするとなんと無料でやってくれた。さらにバッテリーの問題を相談するといろいろ連絡をとってくれ対応していただくが、結局同じタイプのものがなくあきらめる。
結局、2日で約1800キロを走るのにプラハ出発は午後3時頃となってしまった。進路を東にとりチェコ第2の都市、ブルノを通過してスロヴァキアに入る。国境を越えたところで高速道路使用料を払う。首都のブラチスラヴァに入る。どんな町並みなのか知りたくて高速を降りてみる。なんとなく街の雰囲気を感じつつ、特に首都というきらびやかな感じはなく、古い町並みが横たわっていた。

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再び高速道路に乗り南下して、ハンガリーに入る。夜の10時ころブダベストに到着。光に照らされたブダベストはとても美しかった。ブダベストそのものがプラハに比べてスケールが大きいのにビックリした。

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インターネットと電源を借りられるホテルをさがす。イビスホテルが空いていたが電源を確保できないため他のホテルを探すことになる。
電源、インターネットができる日本人経営のペンションが受け入れてくれることになり、夜中におじゃまする。自分は夜2時ごろシャワーを浴びて明日のドライブに備えて先に寝かせてもらう。後はタツヤ、サッチンが徹夜で準備をしてくれた。ほんとうに感謝。ありがとう。完成タンクの燃料をバスコファイブのオリジナルタンクに移し、反応タンクにある40リットルの廃食油を反応させバイオディーゼル燃料を作る。朝にはグリセリンを抜いてもらい遠心分離機に移してもらうようにお願いした。

精製:
完成タンクにある燃料をイオン交換樹脂にかけ、走りながら精製する。夜にはペーパーフィルターを回して完成させる。40リットルの燃料を夜中に反応する。

走行距離:551km
廃食油:0
協力していただいた方:Toyota Tsusho Praha、 Erzsébet & Mr.Takezaki

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プラハの寿司バー

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TOURATECH

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レオナルド・ダ・ビンチ

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8月11日(月) 曇り時々晴れ 28℃

朝、8時にペーパーフィルターを止める。完成したBDFを車のタンクに燃料ポンプで入れる。

この時点で完成タンク、反応タンク、廃食油タンクは空。昨日集めた60リットルの油をフィルタ−してプラントの廃食油タンクに移す作業を始める。

トーマスがペンションまでやってきてくれる。トレーラーをひいてもらい、両替ができる銀行を探し、メタノールを販売してくれる会社を探す。ロシアではこの2ヶ月リサーチをしたがまったくみつからなかった。ドイツで手に入れたメタノールを持ってロシアの国境を越えるのは難しいと誰もがいう。ローカルな国境ならもしかすると多めにみてくれるかもしれないだろうというアドバイスもあった。

とにかく、この後トーマスの友達でもあるシェフのフィリップ・ソンカのところへ行く。彼はGS1200に乗るバリバリのライダーだ。彼は「レオナルド・ダ・ビンチ」というピザリアを経営していて僕らのために廃食油を貯めておいてくれたという。店の裏には110リットルほど廃食油を貯めてあった。本当にありがたい。


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午後4時過ぎだがランチを食べて午後6時過ぎにペンションにもどる。オフロードカーマガジンのペーターが取材に来ていた。

夜、1回反応させる。

走行距離: 0km
廃食油回収 : 110L
協力していただいた方 : Tomas, Leonardo da Vinci (Philip), Inema hotel restaurant (Jan)

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トーマスとの再会

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トーマスが予約してくれたホテルまではプラハの市内から約15キロ離れていた。
夜9時にトーマスがホテルまで迎えにきてくれ、彼の自宅でバーベキューをすることになった。彼はダカールラリーで会ったジャーナリストで、ライダーであり、ツーラテックの輸入代理店やガーミンなども取りあつかうショップを経営している。久しぶりに会い楽しい話に花が咲く。同じバイク乗りということもあって話がつきない。彼のガレージには、バイク好きにはたまらないおもちゃが沢山あった。パーツや道具など洗練された一品ものが沢山。同じく甘党なのでデザートもしっかり食べた。なんだか自宅に帰ってきたみたいだ。

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夜1時ホテルにもどる。ペーパーフィルターは回しっぱなしにして寝る。

燃料精製:
朝、遠心分離機をとめイオン交換樹脂に切り替える。午後5時ペーパーフィルターに切り替える。午後7時から9時まで止め、再び翌朝まで回しっぱなしにして寝る。

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チェコ入国

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8月10日 曇り時々雨 27℃
ベルリンの南25キロにあるイビスホテルを9時出発。ベルリンのバンデンンベルク門を目指す。近くのカフェでコーヒーとパンショコラを頼む。

ベルリンからプラハまでは約400キロ。そこからウクラナイのキエフまでは1500キロほどある。ということはおよそ280リットルの廃食油が必要だ。現時点では160リットルの燃料(80リットルは精製中)があるからプラハについたら120リットル以上の廃食油を集めないとキエフにはつけないことになる。

まずは、バンデンンベルク門の近くのレストランに行ってみるが、日曜日のオフィス街なのでほとんど店は開いていなかった。あきらめて途中通過するドレスデンで日本食レストランをあたろうということになった。ドレスデンは学生の街と聞いている。たぶん、レストランは開いていると見込んでまずは日本食レストランに行ってみる。が、ラオス人の経営する店で寿司のみをやっており油はなかった。そこで近くのメキシカン、イスラエル、イタリアン、スタンドバーみたない店など10件ほどあたるが、なかなか収穫がない。

イスラエル料理店が10分後にもう一度来てくれと言っていたので、行ってみると、なんとOK。さっそく地下にいくと例のブルーの樽があった。中身をみると20リットルほどあったが表面が油の幕がかかっており、ダメかもしれないと頭をよぎったが、ひしゃくで中身をすくってみると、なんと透明感があり使える油だという事が判明。飛び上がって喜ぶ。しかし、油をすくっていくうちに下に貯まっていたショートニングのような白い油が混ざってきた。しかたなく10リットルほどもらってやめるとキッチンに来いという。キッチンに行ってみると揚げ物に使ってたまっていた油のタンクから直接、いただく。これでちょうど20リットル、ジェリ缶1個分が確保できた。

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ここからはチェコのボーダーまであっという間の距離。高速道路を移動していつの間にかチェコの国境を通過。またもや後ろから来たポリスにとめられ、パスポートと車の書類の提示を求められる。やはり車が目立ちすぎる上に右ハンドル、得体の知れない東洋人が運転しているとあっては、まず怪しいと思うのも無理はない。窓を開けて地球一周しているというと、ふーんといってから少したってポリスの雰囲気はやわらぐ。屋根のジェリ缶はなにが入っていると聞くので、廃食油だと答えると不思議な顔をする。なかなか理解できないようだ。大抵、皆BDFが入っているのだろうと思うようだ。
ポリスは、チェコの高速道を走るなら道路使用料として税金を納めたというステッカーを買ってフロントウインドウに貼っておかなければ、いけないと教えられる。
さっそく近くのプレハブの売店に行き、10ユーロで7日分使用できるステッカーを購入する。

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プラハでは、さっそく「田村」という日本食レストランに行く。プラハの旧市街にある「田村」に入り直接、オーナーの田村さんに交渉した。廃食油が必要だということを一通り説明すると、すぐにご理解いただき協力していただけるということになった。奥から20リットル入りの缶を2つ用意していただき。それを一旦お借りして車まで運び、車のルーフにあるジェリ缶に廃食油を移す。きれいな油でフィルターで濾す必要のないすばらしい油だった。
田村さんも車まで見に来ていただきいろいろ話していると日本人の2人連れの男性が声をかける。ヤマハの方でポーランドからフランスにもどる途中なのだそうだ。旅のいきさつなど話しているとワルシャワに知り合いがいますよ。もしワルシャワに行くのなら話をしてあげられます。とおっしゃる。現時点ではワルシャワは通過しない。カザフスタンにもピアノを納めているというのでつてはあるのでE-mailくださいと言って、名刺をいただく。


走行距離:413km
廃食油:60リットル

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ブランデンブルク門

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2年ぶりにブランデンブルク門にやってきた。前回はバイオディーゼルを売っているガソリンスタンドを探しながらヨーロッパ10カ国をまわったときに訪れた。相変わらず門の回りは観光客でごったがえしていた。
せっかくなので近くのレストランをまわって廃食油を探したがオフィス街ということもあり、どこも閉店していた。

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学生の街ドレスデンに足を延ばす。ここなら日曜日でも店が開いているだろうと思ったからだ。このあとチェコを通ってウクライナのキエフまで4日で2300kmほど走らなければならない。現在のところチェコまで走る分しか廃食油は集まっていないので少しでも集めておきたいところだ。
3人で手分けして「メキシカン」「イタリアン」「カフェ」「回転寿司」などなど飛び込んでみる。しかし、油をストックしてある店はなく、あっても汚れていて使えなかったりとあきらめかけたとき、イスラエル料理店がOKしてくれ20リットルが手に入った。

走行距離 : 413km
廃食油 : 20L
協力してくれた方 : Mydia restaurant (Abou-hamze, Steffi Loilde)

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8月7日 雨時々曇りのち晴れ 27度

キャンプ場を9時出発。8時から雨が降り出し、サッチンとタツヤは雨の中テントを片付けてずぶぬれになった。

けっこう居心地がよかったキャンプをとうとう出発するときがきた。

キャンプ場から6キロと離れていないところに以前から行ってみたかったEBB (European Biodiesel Board)によってみることにする。閑静な住宅街の一角にその事務所はあった。

さっそく、ベルをならすと男性が出てきた。

外にでていただき車をみていただく。

女性3名、男性3名が外に出て車を見に来てくれた。この車をみてすごく感激してくれた。今、ヨーロッパでは、バイオディーゼル燃料は、食糧の高騰などマイナス要因を引き起こしている関係もあってグリーンピースなどや他の関係機関からもあまりよい方向ではないらしい。だから君のような人がもっと沢山でてきてくれるととてもバイオディーゼル燃料のイメージアップにもつながるよと行ってプロジェクトを応援してくれることを約束してくれた。

ロシアのバイオディーゼル事情を知っているかと聞くとあまり情報はないという、しかし、EBBのようにロシアにもBiodiesel Board もあるらしい。バイオディーゼルのプラントはまだないが、これから立ち上げようとしているという。これは初耳だ。ロシアの知り合いをあたってくれるという。ぜひ、ロシアでのサポートをお願いする。今度の9月11日にバイオディーゼルの国際会議がベルギーであるらしい。そこに君が来てくれて会場の前に車をおいてくれると非常にいいんだけどなぁ。と残念そうにいわれる。

10時半。ハンブルグまで700キロあるので先を急ぐ。

まずは200キロほど北上したオランダのアムステルダムに向かう。

実は、以前からバスコファイブのデザインでお手伝いをしていただいていた磯野さんの紹介でアムステルダム在住のアーティスト渡部睦子さんが油を集めておいてくださっているという。しかし、この時期アムスにはいらっしゃらないということなので、さっちんの妹さんがここに住んでいるということもあり、油だけ受け取っておいてもらえるということになった。

午後1時ごろアムス到着。川や桟橋が多くなってきた。自転車専用の道路、駐輪スペースなどしっかりとってあり、自転車がいかに人々の足になっているかがよくわかる。小さな路地に入り,公園の近くのともみさんお宅に無事到着。

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渡部睦子さん、確かに廃食油を受け取りました。ありがとうございます!

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此の近くに古い風車があるので記念写真をとる。

雨の中、残り500キロほどをひた走る。高速道路でほぼつなげて行けるので比較的移動は大変ではない。途中高速道路というか、自動車専用道路なのに桟橋がひらくため、船が通過するのを待ち、大渋滞がおきる。これもオランダならではの光景なのだろう。道路からは桟橋を横切るボートやヨットのマストが見え、トウモロコシ畑の中を船のマストがゆっくり移動していくのをボーッとながめていると、なんだか豊かな気持ちになってきた。やはり道路事情は国に寄ってそれぞれで面白い。道を通してその文化を感じられるから旅って面白い。

ドイツに入るとすぐにパトカーが後ろから追いつき、停止するよう命じられる。

やはりEUがつながっているといっても、この車はめだちすぎる。おまけに変な東洋人がのっているのだから止めない分けないか。まず、ドイツ語が話せるか?聞かれ、次にパスポートの提示を求められる。どこから来てどこに行くのかと聞かれる。パスポートを照会して問題がなかったのですんなり、パスポートを返してくれ無罪放免となった。どんな反応をするのか、ちょっぴり心配だったが、なにもなくてよかった。

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再び、高速道路にもどり北上を再開する。ドイツに入って間もなく、左車線を追い越すスピードが他の国とは違う事に気づく。ポルシェやBMWの速度はたぶん180キロから200キロくらい出ているのだろう。こちらは、だいたい95キロからせいぜい出して100キロ、約2000回転弱をキープして走っている。そのくらいが一番燃費がよく走るのだ。40リットルを24時間かけて作った燃料を大切に使いたくなるのは当然だ。高速道路を普通に時速100キロで走ればその燃料は3時間でなくなってしまう。燃費走行をすれば30キロから50キロも距離を伸ばせるので、アクセルワークもとても繊細に走ることが要求される。急発進、急ブレーキなどもってのほかだ。

それにして、ポルシェやBMWは本来このアウトバーンを疾走するように作られた車だというのが、生き生きした走りをみてそう思うのだった。日本で渋滞に巻き込まれてプラグがくすぶる様なところを走ったんでは、車がかわいそうかも。
ところどころスピードコントロールがあり、スピードを規制されることはあるが、その他はスピード無制限の高速道路。さすがドイツ。しかし、我々はあくまでも2000回転をキープして目的地を目指す。夜9時半ころ、目指すホテルに到着。ホテルのご主人は英語を話さない。若い従業員の方がなんとか英語で対応してもらう。ちょうどホテルのレストランは終了したところ。

となりの村のホテルレストランで村上さんと落ち合う事に。2年ぶりの再会だ。

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ご主人の良く行くギリシアレストランが遅くまで開いているというのでそこへ行く。イカの揚げ物などあるのでギリシア料理は油があるはず。すでに村上夫妻がここに来て油を頼んだが断られいる。食後、車を店の前まで持ってきて見ていただく。いろいろ話がはずみ、どうやって油を集めているのかと聞かれたので、このようなレストランでお願いして分けていただいている事、油がないと一歩も進めないこと、今油がなくて困っていることを話し、こちらから油がないかお願いしてみる。

すると奥にいたドイツ人の責任者が、持って行っても良いといっていただき、真っ暗な裏庭に行き80リットルくらいの容量のプラスチックの樽から油(20リットル)をわけていただくことになった。

夜、反応1回(反応開始夜中の12時半) 午前2時に反応タンクのプロペラを止める

走行距離:736km
廃食油:22L

お世話になった人:渡部睦子、村田知美&ニコライ(Nikolai de Lusignan)、ギリシャレストランRhodos(Perikles Dimoulas, Dimitrios Geitsidis, Agapi Geitsidou, Dirk Schulz)、村上希與子Fredric、Guenter Fredric

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